
2015年12月、『長典男さん第二回目お話し会』でお聞きした内容のお話し。とっても素晴らしい内容でした。時々おさらいしたくなるので・・・備忘録として残しておきます。
死んだらこうなる
人が、死を迎えてからたどる行程を要所ごとに分けて説明したのがこのガイドブックです。
世にも珍しい手引き書かもしれません。
まず 最初にむかえる「肉体の死」・・・
『長い間大変お疲れさまでした!』の瞬間です。
人の本体である「霊魂」が、肉体から分離します。霊魂が肉体から離れた瞬間に肉体の活動は停止します。これが、「死」というものになります。肉眼では見えない霊魂にも物理的な重さがあり、だいたい2~8グラムの重さです。
霊魂の存在になっても、あなたが見えるもの聞こえるものは、肉体を持っていたときと全く変わりません。それは、あなたにとって困惑の始まりになるかもしれません。霊魂であるあなたは、間違いなくそこに存在していることを自覚できているのですが、生きている人間からはそれが全く知覚できないために、あなたは、残していった家族からも親しい友人達からも全く相手にされないという状態となります。
生きている人にとって、死は予告なく突然に起こってくるものです。ですから、特に死後の世界を信じていなかった人にとっては、この「死後体験」は恐怖そのもので、ご自身の死を自覚するだけでも随分と時間がかかるものになるかもしれません。
人の一時記憶の期間は、21日間
睡眠中に見ている一般的な夢は、目覚めているときに受け取った記憶の整理作業になります。これにより記憶した情報を一時記憶といわれる部分に蓄えるのです。一時記憶の中の情報は、それ以降も頻繁に使われるものもあれば全く使われなくなるものがあります。それらは、情報を受け取ってから21日目に必要なものと必要ないものに分けられ、残しておくべき大事な記憶は、海馬を通じて人のハードディスクの様な記憶装置の中に保存され残されます。
必要のないものは、21日目に消えてしまうのです。パソコンにある一時記憶のことを「キャッシュメモリ」と呼んでおり、キャッシュメモリの内容は、電源が入っている間しか保存されませんので、突然電源が落ちてしまったりするとメモリの中の情報は消えてしまいます。これと同じことが人が死んだときにも起こっているのです。肉体の死は、パソコンでいう電源が落ちた状態になりますので、人が死を迎えたときにも一時記憶は消え、死の瞬間からさかのぼって21日間の出来事の記憶をほとんど忘れてしまうのです。
ですから、霊魂の状態となったあなたは、死の21日前の状態に近いかもしれません。こういう理由から、病気などで徐々に衰弱して亡くなった人よりも突然死した方のほうが、死を自覚することが難しいといわれているのです。
困った時の頼みの綱。「出会いの場」と久しぶりに出会う懐かしい人。
死後にいったい自分に何が起こったのか分からずに戸惑っている方々のために、あなたよりも先に亡くなっている人々の中で、あなたが一番信頼できると思える人があなたの目の前に現れ、あなたに死の事実を教えてくれます。これが、「出会いの場」というところになります。もし、死後、何らかの理由で困惑した状態に陥ってしまったならば、速やかに出会いの場まで進んで行きましょう。
一般的に言われている死後の「49日間」は、あの世に旅立つまでの準備期間です。しかし、よく分かった人などは、この49日の期間も出会いの場もさっさと素通りして、次へ次へと進んで行きます。
三途の川を無事に渡りましょう
出会いの場で出会った懐かしい人が、あなたを三途の川の所まで案内してくれるでしょう。三途の川は、神々の居る須弥山から流れ出ている霊的な川です。川の上流には一面に白い花々が咲いた花畑が広がっています。川の中腹にくると、花は白から鮮やかな色とりどりの花に移り変わって行きます。そして、下流に向かうにつれて段々と寂しい世界が現れてくるのです。ススキなどの草の生えたところからやがて荒廃した土地が広がり、最下流が賽の河原です。
三途の川の川上の川幅は非常に狭く、軽くまたいで渡れるところもあるくらいです。中腹のお花畑の辺りが、3~5m程度の川幅で、ここにきて漸くそこに川が流れていることに気づける様な光景です。しかし、川は下流になるほど幅広く深くなり、流れも急になってきます。賽の河原の川幅は、300~500mにもなります。
三途の川を渡る際の要点
・生前の業(ゴウ)深さによって、三途の川の渡る場所が決まる。
三途の川に体が沈んでなかなか渡れない人は、体が水に浮かばないので「浮かばれない」と昔から言われているのです。また、水子は、三途の川に浮かばずに流されてしまうから、「水子」と呼ばれています。
この三途の川を渡たると「死」が確定します。自分の肉体と霊魂の間を繋ぎ止めていた霊線が切れ、同時に自分と先祖との接点も切れ、霊魂は、無垢の存在の自分に戻ります。臨死体験の多くは、三途の川の手前で戻ってきた人のお話しで、川を渡りきった時点でもう生き返ることはありません。
三欲 (食欲、性欲、睡眠欲) の世界を通り過ぎます
三途の川を渡ると三欲の世界があります。ここは、食欲、性欲、睡眠欲を満たそうとする霊魂の集団です。この世界に囚われる人は少ないですが、もし、生前に自分の感情を殺していたり抑圧して生きてきた人であったならば、囚われてしまうかもしれません。
ここでの食欲は、食べても食べてもいっこうに満腹感を得られないために常に飢餓感を持っています。睡眠欲も同じように寝ても寝ても全く寝たり無いという状況が続きます。そのために何度も何度も同じことを繰り返しているのです。ここに囚われると、向こうの世界の感覚でだいたい2000~3000年くらいは出てこられません。
やがて自分自身がもう十分だ、もうこりごりだと感じるなどで、ここから出たいと強く決心できるまでやり続けるのです。極端に固執する癖を持っている方は、死んでから囚われないために、生きている間に直しておきましょう。
霊界の生活に入る
思ったことが何でも実現する世界が霊界。イメージしたものが即実現化します。
ここは、心に思ったことが瞬く間に実現となってしまう世界です。魂がもつイマジネーションの力によって、心に思い描いたものが、そのまま現実となって目の前に現れるのです。大きな屋敷やおいしい食べ物。また、綺麗な山や湖も想像したものが現れます。これらの体験を通じて、生前に満たされなかった気持ちを癒やし、また、満足心を持たせるのです。
ここで様々な現実や生活を体験することで、生前の生活に対するとらわれや執着心、生活習慣などを消化し尽くすと霊界での滞在期間が終了します。心が満足心に満たされた時には、突然、目の前に『あの世』の入り口のドアが開き、次の世界に進んで行けるのです。
あの世に到着
霊界の生活を経て、人の霊魂は、「あの世」という世界に到着します。あの世に入ると今まで一つであった霊魂は、「霊」と「魂」の二つの存在に分離します。霊魂のことを正確には「一霊四魂」といいます。
あの世は類共の世界。同じ価値観、思考、波長を持った魂同士が集まって過ごすところ。
あの世は、別名「魂の故郷」といわれるように、もともと自分が居た世界になります。ここは、神様の世界を中心にその周囲に様々な生活圏が存在しています。太陽系に例えると、太陽となる神の世界を中心に惑星の様な人の生活圏が公転している構造です。そして、各々生活圏には、同じような思考や価値観を持つ魂達が集まってそれぞれの集団を形成しております。
例えば、人助けが当たり前と思っている人は、そういう人同士で集まり、欺し欺されることが当然と感じる人は、同じく欺すことが当たり前と感じている考えの人々と集団を形成するのです。他にも、お互いに喧嘩ばかりしている世界、殺し合いを続けている世界などや様々な世界が存在しています。殺し合いの世界では、魂も殺される体験をして一旦死にますが、次の日にはすぐに生き返りまた最初から殺し合いを始めるという状況です。
このような延々と殺し合いをやっている集団を外から眺めると、それを見た人は、あの世には「地獄」が存在していると感じるでしょう。反対にお互いに助け合いの精神で集まっている集団は、当に天国に見えるかもしれません。ここは、類共の世界ですので、ある意味、非常に調和のとれた世界であるとも言えます。しかし、この世界の何が大変かといえば、同じ意識の魂同士の集団なので、全てが当たり前で、何の違和感も刺激も全く無い世界になります。そうすると、自分が現在どういう状態にあるのか、どこに居るのかですら分からない状態で時が流れて行ってしまうのです。
この様な生活の中で、「こんなことを延々と続けているのは、無駄ではないか」、「むなしい」、「もっと何か別のことをやりたい、自分の可能性を追求したい」などの意識が出てくると、再び目の前にドアが現れ、もう一度霊界の方へ戻され、その後、新しい体験を求めての生まれ変わりとなるのです。